~絶望中年セミリタイア民のハイブリッド投資+節約生活~

中年セミリタイアくそ野郎が、株主優待+高配当+成長株へのハイブリッド投資実践と馬(馬券と一口馬主)で資産を減らしつつ、ポイ活やセコ活で年間100万円の節約生活を生き抜こうと企む暇つぶしぶろぐです。各種クラウドファンディング投資、競走馬出資、暗号資産、ロボアド(休止中)等の様々な投資メソッドを実体験中。

同居中の母親が末期の肺がんと診断されました。

どーも。

中年ニートです(`・ω・´)キリッ

3月になり、極端にブログ記事の更新頻度が落ちた私。短期バイトで7時間勤務が始まったことも要因の1つではありますが、最大の要因について今回話したいとおもいます。

 

 

笑ってやってください😃

このタイトルはさすがに俺でも笑えない💀

 

 

※この記事には広告が含まれます。

 

同居中の母親が末期の肺がんと診断されました。

 

2月末から地元の中核病院の呼吸器内科に検査入院していた母親。

先日、母と一緒に主治医から診断結果の説明を受けました。

 

肺腺癌という肺がんではポピュラーな病名で、リンパ節や腰椎や骨盤その他複数箇所にがんの転移が見られステージは4という診断結果でした。このまま放っておくと1年は持たないと。

 

入院前から、かなり悪いだろうなという覚悟はしていました。診断結果を聞いた時はやはりそうだったか、という印象でした。覚悟はしていたけど、それでも辛かった。母本人はもっと辛いだろうけど。

 

肺がんって脳にも転移しやすいらしいのですが、PET CTというガンの広がる検査では、脳に転移が見られなかったことは幸いだったのかもしれません。もちろん、詳細に調べたら転移が見られるかもしれないし、今後転移する可能性も充分にありますが。

 

母から体調の異変を始めて聞かされたのは、私が東京遠征から自宅へ帰宅した当日でした。

 

明日、大きな病院へ連れて行って欲しい、実は少し歩くだけでも息切れして食欲も無いので近所の内科でレントゲン検査をしたら、通常黒く映る肺部分が真っ白に映ると。

 

正直、私にとって青天の霹靂でした。

 

毎日元気に歩いてた母が、通院の帰りはタクシーを使って帰宅したと聞き、ああ、これはよっぽどの事だなと思いましたが、なにせ東京から戻ってきたばかりで日常にまだ戻り切ってない状況で話を聞いたので、現実を受け入れることができず、私はごめん詳細は後で聞くからと言って自分の部屋に逃げたことを覚えています。

 

昨年末から変な咳をしているのは気づいていました。

母にはどこか悪いんじゃないのか?病院に連れて行こうかと言ってたいたのですが、本人がそれ以上何も言わないし、きっと心配かけまいと我慢していたのでしょう。気付いてやることができませんでした。

 

辛い状況なのに、なぜ我慢するのか理解できないのですが、人間って我慢できちゃうんですよね。我慢できない人もいるけど、私の母は我慢してしまった。そして、がんの発見が遅れてしまいました。

 

母は以前からタバコを隠れて吸っていたのは知っていました。肺がんリスクはあったし健康面の事を考えればやめてほしかった。でも好きな事を止めろとも言えませんでした。

 

体調に異変を感じてからタバコは止めていたそうですが、すでにガンは進行していたはずですから、そのタイミングで辞めたところで、時すでに遅しでしたが。

 

非課税世帯に市が無料で実施してる特殊検診にも行ってくれと、私は心配して言ってるんだと口を酸っぱくして言うてましたが、結局母は受診してはくれませんでしたね。手を引っ張ってでも連れていくべきだったのかな。

 

たくさん泣いたし、たくさん後悔した。

 

母の体調異変の事を聞いて、私はだいぶショックを受けました。

食欲はなくなり、夜も眠れなくなりました。

 

自宅は丘の上に建っているのですが、少しあるくだけでも息切れしてしんどかったはずなのに、丘の下のスーパーにまで歩いて買物していた母の姿を想像して1日に何度も泣いていました。今では食欲も睡眠欲も(性欲も)回復しましたし、泣く頻度も減りましたが、今でも歩く姿を思い出すと泣いてしまいます。お豆腐メンタルでほんと困ります。これは完全に母からの遺伝。母も精神的に弱い人間です。

 

私、何度か買物帰りに坂を上ってる途中の母に合ってるんですよね。休みながら歩いている母に。ここで辛そうにしていたらさ、坂の上のほうは勾配もっときついよ!なんて言ってたことを思い出しました。あの時からもう苦しかったんだよな。気付いてあげられなくてごめんよ。

 

それに、私が女の子友さんに現を抜かしていたせいで、母が言いづらかったのかも、私がちゃんと母を見れていなかったのではと自分を沢山責めましたよ。

 

最大のネックはくそな父の存在。

 

母の事については、時間の経過と共に現実を受け入れることができました。自分できることはほぼないし、病院に入院してる間は病院に任せたほうが、家にいられるよりも私は安心できるので。

 

昔は一人暮らししていたので、自分の事は自分でできます。やればできる子。

 

しかし最大のネックが我が家にいました。

父親です。しかもくそな父親。クソ野郎の父も当然くそ野郎。

 

腎臓病を患って以来、すっかりやる気をなくし体力も気力も思考力も記憶力も、食欲以外は何もかも衰えてしまった父親。しかも両耳が難聴になってほぼ聞こえることができないのに、買ってやった補聴器をわずらわしいと言って付けないくそ野郎。目も緑内障白内障の前兆があって目薬を点眼してますし、目も見えなくなったらどうするんですか?まじで。

現状でも耳が不自由でコミュニケーション取るにも一苦労だし、透析の通院が無い日はリビングのソファにずっと座って飯とトイレ以外は何もしない、そんな父親が私は大嫌いで(向こうも私の事は嫌いでしょうけど)、父親の対応は全て母に任せていました。

 

その母親が突如いなくなり、父の対応が否が応でも私に降りかかってきます。

 

父親がいかに何もしてこなかったのか、エピソードを1つ紹介しましょう。

現在の家に引っ越して4年経過するのですが、毎日使っている自分のお茶碗と箸の保管場所すら父は把握していませんでした。

 

そのくらい、家の事はおろか自分の事すら何もしてこなかったのです。

 

父にも母の病状は伝えましたので、ここで危機感を持って自ら動いてくれればいいのですが、たぶん私がやってくれると思っているのでしょう、ほぼ何もしません

 

本当は自分の事は自分でやって欲しい、でもやらせるとなんか失敗しそうで怖い。耳が聞こえないので冷蔵庫開けっ放しのアラームやインターフォンが鳴っても気づかないし、人一倍注意して行動しなければいけないのに、たぶんもうできないのでしょうね。だから私がやるしかない。

 

でも私は母のようには生きられない。

 

私は父の家政婦じゃない

 

毎日父の食事の事考えて、買物行って下準備して料理して後片付けして...こんな事に時間を費やしたくない。

 

父に縛られず好きに仕事したい、自分が好きなのもを食べたい、自分の時間が欲しい、ブログも書きたい、女の子友さんとも遊びたい

 

母は丈夫でこれまで大病もしてこなかったし、85歳くらいまで生きるんだろうなって勝手に考えていましたし、順番的には父⇒母⇒私の順番だと思っていましたが、本当にわからないものですね。

 

母もすぐにどうこうなるわけじゃないと思いますけど、母名義の証券口座での運用資金はじょじょに引き上げないといけませんね。母名義での優待クロスは3月で最後になるかな。今は投資に時間を割く気力がないし売って放置か、売ったお金でNISA成長投資枠で投資信託を積み立てるのもいいかな。クレカ積立が月5万円から10万円に拡大されましたからね。つみたて投資枠では購入できない商品を買うのもいいかな。そうなると株主優待くそ野郎も卒業ですかね。次がどんなくそ野郎をやるか考えておかないとな。

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。モチベ維持のため週1で応援クリックお願いします!

 

にほんブログ村 株ブログ 株主優待
にほんブログ村


株主優待ランキング