どーも。
絶望中年ニートです(`・ω・´)キリッ
明日は春分の日の祝日。彼岸の中日でもあります。
去年亡くなった母のお墓参りする予定は昨日まで1㎜も無かったのに、彼岸の事を少し調べたら、これは母のお墓参りに行かなーだめっしょ、という気持ちになり花を手向け墓前に手を合わせてきました。
言っても合葬墓(永代供養墓)なので自前のお墓は無いのだ😃
お前に墓を維持管理できる能力は無いとおもうのでそれで良かったのでは、それにそういう時代だよ。元々お墓がないならその選択肢もありだ。死人の俺が言うのだから間違いない💀
- 昨日まで1mmもお墓参りするつもりはなかったけど、お彼岸の日の意味を知ったら母に逢いたくなった。
- 母が亡くならなければ彼岸の事を調べてみようなんておもわなかったはず。立場が変わると人の考え方も変わるんだなと。
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昨日まで1mmもお墓参りするつもりはなかったけど、お彼岸の日の意味を知ったら母に逢いたくなった。
私ってつくづく世の中に興味のない性格、と言いますか何事も興味を持てない人間なのです。
なので、これまで彼岸にも興味無かったし(彼岸にお墓参りする習慣もつい数年前に知った気がする)、一切調べようとも思いませんでした。
本日仕事が休みでお墓近くをたまたま散歩していたら、お天気もそんなに良くないのにお墓参りする人が何組かいました。
なぜみんなそこまでしてお彼岸にお墓参りするのかなーと少し気になったので、帰宅後グーグルさんに聞いてみました。
なるほど。ざっくりお彼岸とは仏教の教えの1つで
あの世とこの世の距離が最も近くなり、そのため故人に思いが最も届く日とされていたんだ。
そりゃ、みんなお墓参りいくわ。
というわけで私も天候回復後に母が眠るお墓(合葬墓)に手を合わせてきました。
母が亡くならなければ彼岸の事を調べてみようなんておもわなかったはず。立場が変わると人の考え方も変わるんだなと。
まあ、副題のとおりなんですけどね。
私は通える距離にお墓があるのでいいけど、私と同じような気持ちの方で遠くに住んでお墓参りできない人ってどんな気持ちで彼岸を迎えるのかなって、少し考えちゃいました。
仏壇も安い品ではありますが、それなりのものを買い増した。
魂入れもしてもらいました。
坊主(葬儀屋も)に無駄なクソ高いお金を出すことだけはいまだに納得できないけど(笑)
なんでその儀式だけで3万円もかかるのよ、10分くらいお経読んだだけじゃん
母の月命日には仏壇の清掃をかかさず実施しています。無気力状態の時もさぼらずやってこれました。いつまで続くのかわかりませんが、自分が病気になるまで欠かさずにやるのかもしれませんね
母の事を思い出さない日は1日たりともありません
嫌なことを全部母に押し付けてきた、母に甘えてばかりだった、母の死にちゃんと向き合えなかった、等々で後悔の気持ちが強く、また母の無念を考えると泣いてしまいます
でもこんな気持ちもだんだん薄まってくるのかな
あの世で母はどう思ってるのだろうか
父の事、ちゃんと面倒見れなくてごめんよう
俺には無理でした
家の事、全然やれてなくてごめんよう
俺には無理でした
もっと一緒に美味しいラーメン食べに行けばよかった
もっと一緒にいたかった
後悔しても今さらどうしようもないのにね
母に会いたいな
このような〆方でごめんなさい
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